67.引火点と発火点。68.カドミウムと水銀。69.塩素の確認方法。

67.引火点と発火点。

 

 引火点を辞書で引けば「可燃性の液体や固体から発生する可燃性蒸気が、小さな炎を近付けたとき瞬間的に発火するようになる最低温度」と定義されている。一方発火点は「空気中で物質を次第に加熱する時、自ら発火して燃焼を始める最低温度」である、則ち酸素との反応温度なのだ。

 

 物質の引火点(理科年表)「ガソリン -43℃以下」「ベンゼン -11℃」「エチルアルコール 13℃」「灯油 40~60℃」「重油 60~100℃」「機械油 106~270℃」「菜種油 313~320℃」。発火点(理科年表)「水素 500℃」「メタン537℃」「アセチレン 305℃」「一酸化炭素 609℃」「ポリプロピレン 201℃」「スチロール 282℃」「古タイヤ 150~300℃⌋「木材 250~260℃⌋「新聞紙 291℃⌋となっている。

 

 焼却炉の温度を知るためには、この二つのうち発火点が重要である。発火点は間違いなく酸素と物質中の炭素が反応する温度である。一酸化炭素発火点に注目していただきたい。焼却炉の二次燃焼はこの一酸化炭素と酸素が反応して、二酸化炭素になる温度、二次燃焼が始まる温度と考えられる。だから二次燃焼は609℃以上なければ始まらないし、一点で酸素と一酸化炭素が発火すればその温度で連鎖的に発火して自燃が始まると考えていい。この温度以下では絶対に自燃か始まらないし、この温度は結果的に二次燃焼温度となっていく。だから予備加熱は609℃、二次燃焼温度で言えば650℃~700℃以上にする必要がある。この二次燃焼を始めさせるためにはバーナーと燃焼空気が必要である。過去の焼却炉の二次燃焼室の中には、バーナーも供給空気もないものがあった。あるいは其の一つだけであったり、構造的に一酸化炭素と空気の混ざりにくいものもあった。

 

 先日、一つの質問があった。焼却炉の終わり頃に残留酸素濃度が増えていくと平行して一酸化炭素濃度が上がっていく。十分な酸素があるのに何故完全燃焼しないのだろうか、という質問だった。答えは酸素と一酸化炭素が反応する温度が609℃以下になっていないか、ということだ。二次燃焼の温度計はポイント的にしか測定しないので、反応温度を示しているとは限らない。当然、未反応ならば酸素も一酸化炭素も未反応状態で排ガス中に増えていく。多くの方がCO濃度計の数値を見ながら不思議に思われただろう。私も運転していたころ不思議に思っていたものだ。

 

(追記)最近の北九州であった廃棄物処理工場の火災や豊橋市明海町の金属系廃棄物の火災は、廃棄物を積み上げたことによる自然発火だろう。廃棄物を積み上げた業者はまさか火元があるとは思わない。廃棄物を積み上げた段階で火事の確率が高くなる。引火点は中古タイヤなら150℃、燃えにくいコンプレッサ油でも木屑と同様引火点は250℃である。昔から知られている水と生石灰(加熱式駅弁)、炭素と鉄粉(ホカロン)の発熱反応、油を含んだウエスの酸化熱、他にも発酵熱や吸着熱がある。これが屋外(野積み)で金属が混入すれば山火事と同様、風による摩擦熱、太陽熱や落雷による着火も加わる。まして現在のスマホやコードレス機器のリチウムイオン電池はショートや外部からの衝撃で発火する。コンベアやピット内、堆積廃棄物の自然発火による火災は令和5年、6年の間に北海道から沖縄まで30件以上、これは処分した一般人の責任でもあるがゴミ収集車の火災を含むと数百件にも及ぶ。積み上げた廃棄物が燃えないのはむしろ奇跡と考えたほうががいい。

 

68.カドミウムと水銀。

 

 カドミウムも水銀も低融点の重金属である。カドミウムは融点321.07℃であり、沸点は767℃である。一方水銀は常温では液体であり、沸点は357℃である。ということは二つの重金属は焼却炉の温度で気化するのである。

 カドミウムの毒性は骨や関節が脆弱になるイタイイタイ病の原因となり、慢性的には肺気腫、腎障害、蛋白尿が言われている。イタイイタイ病は1956年から57年ごろをピークに富山県神通川流域に発生した公害病である。既に60年以上前の事件だから知らない人のほうが多いかもしれない。激痛や病的な骨折に襲われ「咳をしても骨折⌋し、運動不能状態になり死に至る。原因は三井金属鉱業神岡鉱業所のカドミウムの慢性中毒症と発表された。

 

 一方メチル水銀による公害病は九州の水俣病である。新日本窒素肥料水俣工場の工場廃液からの汚染された魚介類を食べたことによる集団中毒であり、感覚障害、運動失調、言語障害、視野狭窄をおこし、重症では死亡するという公害病である。

 この有機水銀の汚染は第二水俣病として新潟県の阿賀野川流域でも起こっている。

 

 水銀中毒で有名なのは、奈良の大仏の話である。奈良の大仏は造立当時は全身金メッキの大仏であったらしい。大仏を金メッキする方法は、中国からもたらされた水銀にを溶かし大仏に塗布する、水銀とのアマルガム合金という方法である。塗布した後表面にをあてて水銀を蒸発させると、大仏の表面に金メッキが残るという方式である。

 その頃作業者は原因不明の病気になり多くの死者が出たといわれる。当時は多分祟りだとか言われたのかもしれない。神通川のイタイイタイ病も風土病であるとか、村八分になるとかが問題になった。

 

 一寸話は変わるが、学者の中には、この大仏の表面の水銀にをあてて、水銀を蒸発させた名残が奈良の「お水取り⌋に行われる大松明ではないかという説を唱える人もいる。

 私も一つの説を唱えると、大仏が建てられた(752年・天平勝宝4年)起源は奈良の都に起こる得体のしれない病気平癒だったのではないか。中国から伝来された新しい技術、水銀アマルガムを使って仏師たちは多くの仏像を作っていた、それ故水銀中毒が町中にも蔓延していたのではないかと思う。(追記)「青丹よし奈良の都は咲く花の匂うがごとく今盛りなり」という歌がある。専門家は「大仏請願は天然痘の流行である⌋と言う。私はこの歌と言い、お水取りの松明と言い奈良の都が終焉(784年・延暦3年)を迎えたのは、中国から来た新技術「水銀文化⌋だと推測している。青丹(あおに)とは水銀のことである。

 その病を退散させるために大仏開眼が行われたのではないだろうか。多くの仏師の、個々の試し塗りなくしてあの大仏の金メッキ作業はありえないと思うからだ。だが病の根源が水銀中毒とは考えられなかったのだろう。屋根のある建物の中での大仏の金メッキはもっと大きな水銀中毒をおこしたようだ。それを機に平城京は74年の短命(平安京は東京遷都まで約1000年)の歴史を閉じるのだから、水銀中毒は歴史的な大事件と言ってもいい。

 

 ともかく水銀もカドミウムも得体のしれない病の根源となる。焼却炉を扱う人はこのことを十分に考えていただきたいと思う。

 

 

69.塩素を確認する方法。

  

 ある質問に答えるためにこれを書きます。一概に「廃プラ⌋といってすべてのプラスチックを十把一絡げにして呼んでいるが、廃プラすべてに塩素が含まれているのではなく、塩素が「必須条件⌋のダイオキシンが出来るわけでもない。まるでダイオキシンの原因が廃プラのように言われるのは大きな間違いで、塩素が含まれる塩化ビニル又は塩化ビニリデン(サランラップ)が一緒に燃えると塩素ガスが発生したり、ダイオキシンが発生する原因となるのである。いわば以外の廃プラは「えらい迷惑や」と思っているに違いない。

 

 どちらかと言えば「塩化ビニル⌋や「サランラップ⌋以外の廃プラは石油製品だから、カロリーも高く(木材の2~2.5倍)燃料としては誠に優秀で助燃材に使えば灯油並みの働きをする。では材料が塩素を含んでいるかどうかを調べる方法は「工業試験所⌋ならば正確に%まで出してくれる。そんな必要がなければ「炎色反応⌋を用いられるとよい。炎色とは銅線を焼いてそれにプラスチックを着け、もう一度「炎⌋にかざすと、プラスチックに塩素が含まれていると緑色の炎が出る。これが一番確実で、簡単な塩素の確認方法である。

    「炎⌋はトーチを用いるのが一番いいが、家庭用ガス器具の「炎⌋でも出来るから確認してください。