14.焼却炉の定義とは。15.焼却炉の問題チェック。

14.焼却炉の定義とは何か。

 

 最近、多くの研究者によって焼却炉ではないと言われる燃焼装置が出回っている。低温で熱分解を起こせば、灰になるのではなくセラミックになるとか、発熱の方法はマグネットだとか、燻焼(燻煙は広辞苑にもあるがくんしょうはない)によるものもある。低温で燃えるからダイオキシンも出ないし、「廃掃法⌋にある焼却炉には当たらない(環境庁が認めているのかどうかは知らない)と説明されている。
 

 燃焼とは「物質が熱と光を発して酸素と化合すること」だが、温度に関係なく物質を箱の中に入れて発火点以上に熱した場合、それは焼却炉といっていいだろう。物質を空気中で熱した場合、火源が無くても発火する最低温度を発火点と言うが、木くずは250~265、新聞紙で291、ポリプロピレンは201℃(理科年表)とされている。300まで温度を上げると、どの物質も発火点を越える。線香は燻焼と言われているが熱を発していないか?、光を発していないか?、酸素と化合していないか?さわると熱いし、暗闇の中では光っている・・・これも燃焼と言えるだろう。
 

 発火点は物質が熱で分解をして、可燃ガス(一酸化炭素等)を発する温度と考えられる。炉の形態から言えば従来の焼却炉は、この可燃ガスを熱して空気を与え、そのまま燃やすものを単段燃焼といい、この可燃ガス二次燃焼以下に流して、燃やすものを多段燃焼方式といった。それ以外にもガス化燃焼とか炭化炉もこの方式である。
 

 いくら低温と言っても発火点以上の温度をかけると可燃ガスが発生するのだから、それが炎の見えない燃焼であっても焼却炉と言えるのではないか。その可燃ガスが出る限り、廃掃法や大気汚染防止法に従わなければならない。一酸化炭素発火点は609であるが、その可燃ガスを未燃状態で空気中に放出すれば非常に危険である。それには609以上(法律は800℃)燃焼させ、そのためには、十分な空気(酸素)を与えてやる必要がある。

 

 

15.焼却炉の問題チェック。

 

 最近各社から「温度が上がらない」ダイオキシンの数値が限度内に入らない⌋「煙が止まらない」等の苦情を聞く。多分これに的確に答えられる技術者は全国を探されても、数少ないと思われる。1.焼却炉を設計し、運転したことがある人。2.焼却理論を知り、構造を理解できる人。3.多くの焼却炉(良いのも悪いのも)を見てきた人。4.常識程度に水や空気の流体力学、熱力学を勉強した人。5.廃掃法、大防法ダイオキシン特措法の知識がある人。6.ダイオキシンの科学に精通する人。
 

 設計者は炉体の形状と内容積、押込みファンの数と能力煤塵量バーナーの数と能力サイクロンの大きさ熱交換器の大きさ、バグフィルターの本数、冷却塔の水量誘引ファンの大きさ、煙突の径と拡散高さ、などを計算書ではじき出す。焼却炉の良しあしをチェックするのは計算書の数値と経験以外にありえない。当然どちらが欠けても絶対に無理だ。私は計算書で配管の太さや、炉内に吹き込む給気口の径や本数まで計算している。
 

 大概の業者や行政書士はお役所に書類を出すときに必要なものと承知しているが、設計者ははじき出される数値によって焼却炉の寸法を決めるのであり、計算書数値と経験によって炉の良し悪しを決めるのである。私はこれを業としてきたのであるが、これを理解している人は少なく、「計算書を作りましょうか?」と言うと、県に提出するものと勘違いされて「要りません」と言われる。よい計算書は設計者のナヴィゲーターであり、焼却炉の良し悪しを決めるスケールである。
 

 もちろん計算書をただ(無料)では出来ないのは、ゴミをただで集める業者もいないのと同じだ。エクセルでプログラムを組むから最低一週間はかかる。計算書もピンからキリまであって大会社の計算書が良いとも限らない。数値をエネルギーで出す計算書であったり説明文が多いものがある。温度とか数量(立米・kg・・平米・m・kPa)で出さないと測定のしようがないし設計者の参考にもならないが、それで県が納得すればよしとされている。そんな計算書を作るのは多分設計者ではなく、ただの知識人なのだろう。設計者は説明ではなく数値が欲しいのだし、そんな計算書焼却炉の問題点が判るわけもない
  

 「計算書を作りましょうか?」と言う言葉は「設計しましょうか」「炉の問題点をチェックしましょうか」と同意語である。とかく形にしないと金銭に勘定できないのが日本人の本質である。だから設計すると言っても誰も有難味がなく、図面になって初めて価値が出来る。しかし図面を作ろうと思えば、設計して寸法を決めてくれる人間がいる。それが設計者であり、その指針となるのが計算書である。
 焼却炉のチエックを依頼され、「計算書は要らない」と言われると、「ああ、この人は惜しいところまで来られたのに」と慨嘆する設計者である。